2011年07月18日
雑踏
こんばんは
久しぶりの投稿になりました。
直前理事長つよしです。
昨日、今日と
理事長、専務達とともに
横浜で過ごしました。
真夏の横浜も結構暑く
用件のあった
パシフィコ横浜の周辺は
都会のアスファルト的な熱気でした。
その真夏の雑踏のなかを歩いている途中
なぜか
とある想いがこみあがってきて
自分自身で収まりがつかなくなって、
どうしようもなくなって
都会の空を見上げて心を整理しました。

今週は旅続きで
12日から
石垣島、多良間島、宮古島、座間味島
そして横浜へと毎日移動していました。
そのせいかどうかわからないけど
少しナーバスになっていたようです。
以前のブログにも
この唄の歌詞を使った記事を書いたと思うのですが
私は70年代に米国でヒットした
ボブディランの曲
「風に吹かれて」の歌詞が好きです。
いったいどれだけの道を歩いたら
人は男として認めてくれるのか
いくつもの海を越えたら
白いハトは砂地でやすらぎを得ることができるのか
どれだけの砲弾が炸裂したら
闘いは終わるのか
友よ、そのこたえは風に吹かれている
答えは風に吹かれている
…
先日、私が35歳まで過ごした鹿児島の
古い知人から連絡がありました。
その年上の知人は
私の人生に大きな影響を与えた人で
目に見えない大きな「愛」のようなものを
惜しげもなく私につぎ込んでくれました。
私は
そのつぎ込んでくれたもの全てを受け取り、
私なりの結果にして発したかったのですが
若く拙い私の能力では
形にすらならなかった。
その知人とは、もう簡単に
会うことができなくなってしまったけれど
二人の間には「表現できない何か」が
今も存在していると信じています。
今日、
真夏の横浜の雑踏で
この「表現できない何か」
が突然にこみあげてきて
激しく動揺したわけです。

ひょっとすると
「表現できない何か」を
追跡することが
私の生きる意味の全てではないのかと…
今、私の耳には
友よ、そのこたえは風に吹かれている
というボブディランの声が響いています。
私の生きる価値が
「風に吹かれている」
と信じてみたい。。。
真夏の雑踏での記憶です。
久しぶりの投稿になりました。
直前理事長つよしです。
昨日、今日と
理事長、専務達とともに
横浜で過ごしました。
真夏の横浜も結構暑く
用件のあった
パシフィコ横浜の周辺は
都会のアスファルト的な熱気でした。
その真夏の雑踏のなかを歩いている途中
なぜか
とある想いがこみあがってきて
自分自身で収まりがつかなくなって、
どうしようもなくなって
都会の空を見上げて心を整理しました。

今週は旅続きで
12日から
石垣島、多良間島、宮古島、座間味島
そして横浜へと毎日移動していました。
そのせいかどうかわからないけど
少しナーバスになっていたようです。
以前のブログにも
この唄の歌詞を使った記事を書いたと思うのですが
私は70年代に米国でヒットした
ボブディランの曲
「風に吹かれて」の歌詞が好きです。
いったいどれだけの道を歩いたら
人は男として認めてくれるのか
いくつもの海を越えたら
白いハトは砂地でやすらぎを得ることができるのか
どれだけの砲弾が炸裂したら
闘いは終わるのか
友よ、そのこたえは風に吹かれている
答えは風に吹かれている
…
先日、私が35歳まで過ごした鹿児島の
古い知人から連絡がありました。
その年上の知人は
私の人生に大きな影響を与えた人で
目に見えない大きな「愛」のようなものを
惜しげもなく私につぎ込んでくれました。
私は
そのつぎ込んでくれたもの全てを受け取り、
私なりの結果にして発したかったのですが
若く拙い私の能力では
形にすらならなかった。
その知人とは、もう簡単に
会うことができなくなってしまったけれど
二人の間には「表現できない何か」が
今も存在していると信じています。
今日、
真夏の横浜の雑踏で
この「表現できない何か」
が突然にこみあげてきて
激しく動揺したわけです。

ひょっとすると
「表現できない何か」を
追跡することが
私の生きる意味の全てではないのかと…
今、私の耳には
友よ、そのこたえは風に吹かれている
というボブディランの声が響いています。
私の生きる価値が
「風に吹かれている」
と信じてみたい。。。
真夏の雑踏での記憶です。
Posted by 公益社団法人島尻青年会議所 at 00:13│Comments(1)
│OB 玉寄将
この記事へのコメント
踏み切りにて ボブディランの歌詞を思い浮かべるなんて 素敵な感性ですね。
私は その踏み切りにも 意味があるのかな~
なんて感じました。
私は その踏み切りにも 意味があるのかな~
なんて感じました。
Posted by みるくゆがふう at 2011年08月02日 17:26