東日本大震災から3年。いま改めて思うこと。

公益社団法人島尻青年会議所

2014年03月11日 14:22

2011年3月11日(金曜日)14時46分。

日本中だけでなく世界中を震撼させた「東日本大震災」が発生しました。

 誰もが予想していなかった、余震から突然のマグニチュード9.0の大地震…そして宮城県、岩手県、福島県沿岸部に住み暮らす多くの住民を巻き込むことになる未曽有の大津波。
 遠く沖縄の地でも、メディアを通して流れてくる現状に心が震え、恐怖を感じる瞬間でした。

多くの多くの貴重な命を奪った東日本大震災。愛する人を目の前で失う辛さ。3年経った今でも、未だに心を締めつけ忘れることのないこの日「3.11」

被災地では一日でも早い復興を目指し、歩みを進めているが実情は多くの問題を抱えまだまだ真の復興には至っていない。

先日、公益社団法人日本青年会議が開催する「復興創造フォーラム」(福島県いわき市)に参加してきました。
震災当時は現地に行くことが出来ず、ただただ報道を通して見ていたその地に足を踏み入れて初めてその脅威を肌で感じ、これまで行ってきた自分の行動に未熟さを感じ、後悔さえ覚えた。

 いわき青年会議所理事長渡邊大輔君の現状を話す言葉一つ一つが心に突き刺さり、同じ青年会議所の理事長として、一人の人間としてこれからすべき事を考えた日になりました。

「明日は我が身」だれもが知っていながら背を向ける言葉。

「よなえよつねに」幼少期ボーイスカウトで習った言葉。

死者15,000名余り、行方不明者2,600名余りの方々へ心から哀悼の意を捧げるとともに、真の復興へ向けて、東日本大震災で学んだことを決して忘れることがないよう。

本日改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。

生きていること、生かされていることへ感謝し、
これからの未来へ向けて確かな一歩を踏み出していきましょう。

合掌

公益社団法人島尻青年会議所
 第32代理事長 黒島 淳


画像は先日訪れた福島県いわき市沿岸部にある「いわき市のシンボル」といわれている
「塩屋崎灯台」とそこから見た沿岸部のものです。





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